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過剰なサービス 過剰労働 レビュー

過剰なサービスについて

過剰なサービスやホスピタリティーは誰しもが求めない方が良いと思います。

何故なら過剰なサービスやホスピタリティーは末端の社員にとって、時に苦痛になるからです。

過剰なサービスで言えば運送業や飲食業がそうですが、利用者や会社のお偉いさんと末端の社員とで認識が違います。

違いがない場合もあるでしょうが、過剰なサービスを嫌う社員が勤める会社の仕事はハードです。根拠はありません。しかし仕事がハードな上に高いサービスを要求されるか問題になっているのでしょう。それほど単純な問題ではない気もしますが十中八九そう言えるでしょう。

ホスピタリティーで言えば、沢山の業界がそうですが、やはり利用者と会社のお偉いさんと末端の社員とで認識が違います。

利用者や会社のお偉いさんの求めるものはやはり過剰なサービスと一緒で高いものが要求されます。末端の社員はそれについていけるでしょうか。ついていける人もいるでしょうが低賃なら酔狂だと感じる人も少なくないでしょう。そのため人の入れ替えが多くなりなかなか定着しないのではないでしょうか。

とは言え働かなくては仕方がないですし、それでもいいという人はいます。

ただやはり身の丈にあったサービスの仕方があると思いますし、利用者も身の丈というものの認識を持つべきだと思います。

相互的に認識の仕方を改めることで利用者、会社のお偉いさん、末端の社員が気持ち良くやり取り出来ることでしょう。そういう関係性は介護と似ていますね。それぞれが出来ること、出来ないこと、互いの協力、認識等々を理解することで気持ち良くやり取りが出来るのです。

サービスやホスピタリティーに対する対価がサービスやホスピタリティーのような精神、あるいはそういう相互認識と優しさといいますか

皆が敬意のような念を抱くことなのではないでしょうか。そうすることで問題や違和感が浮き彫りになるのだと思います。

利用者、会社のお偉いさん、末端の社員。それぞれ認識が違いますし、その人の身の丈があります。やっかいではありますが、過程は違えどもそれぞれが求めているものは近いでしょう。それぞれがサービスやホスピタリティを追求する限り恐らく大した問題は起こらないでしょう。

起こるとしたら人間性の問題や過失で起こるヒューマンエラーのようなものでしょう。

人間性の問題や過失とホスピタリティーは切り離して考えた方がいい場合もあるでしょうが

例によっては重大な何かをを引き起こしてしまう危険があるでしょう。それだけ過剰なサービスやホスピタリティーに違和感を感じております。

最近相次いで店員が起こす不祥事。責任の所在が個人にあるのだとしても環境に問題はなかったのか、人員に問題はなかったのかなどを早急に見つめ直す必要はあるでしょうし今後同じ過ちを起こさないために関係者全員が一丸となって環境整備や課題目標を活動計画に展開していく必要もあるでしょう。そう言う意味では責任は関係者全員にあると言えるのではないでしょうか。

 

ある人は、安かろう悪かろうの可視化だと言っておりましたが確かに私もそう思います。ネットもソーシャルネットワークも無い時代から、ある程度普及した時代まで、ある種暗黙の了解で、なんとか一線を越えずに均衡が保たれてきたのではないでしょうか。それが今自分の過ちを自ら晒すというニュータイプが続々現れた事によって、安かろう悪かろうの悪かろうの部分が顕著に現れたと言えるでしょう。私は本来のあるべき姿を、彼らが自らが罪を犯して、解き放ってくれた、いい意味で気づかせてくれたという風に考えます。

 

何故かというと、嘘、過ち、不正などは、いつか必ず表沙汰になる物だと私は考えているからです。誰かが言わなくても、誰かが制裁しなくても、いつか必ず制裁されますし、なんらかの形で悪い部分は必ず出てきてしまいます。今回たまたま彼らが、ああいったわかりやすい形で大々的に世に知らしめてくれただけの事であって、昔から似たような不祥事はあったのではないでしょうか。

終わりに

これからは個人が個人を守る時代です。法やコンプライアンスは勿論のこと社内ルールや言動まで個人が責任を持ってリスクをマネージメントしていかなくてはいけません。

自分には必要がないと思われている方もいらっしゃるかと思いますが知らないうちに大きなトラブルに巻き込まれる可能性があります。そうなる前に早急な対策が必要です。特に公務員、大企業で勤められている方、多くの人間とつながりのある方は要注意です。