漫画・本レビュー

死を受け入れること 読んでみた

小堀鴎一郎 養老孟司の生と死をめぐる対話から死生観のヒントを得よう。

第1章「死ぬ」ということはごういうことですか?から病院で死ぬことが常識より

人口動態調査 人口動態統計 確定数 死亡 

https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003214716

 

施設内で亡くなられる方が最も多く2017年で1,135,419人です。

その次に病院で亡くなられる方が多く1987年から2017年までの30年で倍にに迫ろうとしています。現在ではもう倍以上増加しているのでしょう。

 

それだけ在宅死というのは常識ではないということがデータでわかります。

それでも養老さんは家族に迷惑をかけたくないという思いも持ちながら病院で死にたくないと語っていました。もちろん死生観は人それぞれでそもそも善悪の話ではないと思うのですが、よく「家族に迷惑をかけたくない」と口にする方がいます。それは間違いではないのですが、なんていうか元気なうちは家で死にたいと志しても良いんじゃないですかね。

家で死にたいということが必ずしも前向きなこととは思いませんが、病院の閉鎖感というかあの感じを想像しただけで前向きとは真逆の感情を抱きそうになるのは私だけでしょうか・・・・・・施設でも良いんですけどね。でもやっぱり自宅なんですよ。最後まで自分でいられる気がするっていうか。

家族に迷惑をかけてしまっては前向きどころじゃない気もしますが、いよいよ決断しないといけない時が来るまでは家で死ぬことを目標にした方が長生きができそうな気がします。

 

最後に養老さんがこうおっしゃっていました。

僕らの頃は特別支援学級はなくてみんな一緒だった。そういう子もいるなということでおさまっていた。それを、ああいう子がいると学業の妨害だとか、そういう風に考えるようになるのは、ある種、機能主義。人間社会全体を考えれば、障害のある人は当然います。

人口のものしか置いていない社会で育てばそうなっても不思議はないと思います。人口のものは全て、何らかの意味を持たせているから。だから意味のないものの存在を受け入れていないんです。

河原へ行ったら石ころがゴロゴロしている。その石にどういう意味があるんですか?世界には無意味なものがたくさんあるんです。何にでも意味を求めすぎる。だからゴキブリもハエもいなくなる。三十五億年の生き物の歴史を考えたことがないからあんなものいらないだろと言うんです。お前と同じで三十五億年苦労してここまで来たんだよと。何で人間だけ威張っているんだよ、という話です。

障害のある人の価値の有る無しの話ではなく、価値の有る無しを勝手に決めて排除する社会に疑問を投げかけているんです。必ずしも施設や病院で亡くなる方が排除されたとは思いませんが、施設や病院で亡くなられる方の絶対数が増加している以上本人の意思よりも周りの人の意思が尊重されるケースも当然増加傾向にあるということを認識した上でどういう決断をするのか私達は考えなくてはなりません。