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21 Lessons review

21 Lessons 

21 Lessons を読みたいけれども、読むのが面倒という方に向けて21のテーマから面白い話を簡単に紹介しようと思います。

第4章 ポスト・トゥルース  いつまでも消えないフェイクニュースもある

 

人間は常にポスト・トゥルース(世論形成において、客観的な事実より、虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況。事実を軽視する社会)の時代に生きてきた。我々の種はポスト・トゥルースそのもので、虚構を作り出しそれを信じることにかかっている。

私たちは常にフェイクニュースに晒されています。SNSの情報しかり、ニュースしかり、噂しかり。情報の真偽をジャッジするのは私は荷が重すぎると感じるのです。思考停止のような考え方ではなく、実際判断がつかないニュースをいくつもみてきましたから、情報に踊らされないように一歩引いて静観することはある意味自然でしょう。踊らされても構わない、踊りたい、という考え方であれば静観する必要は勿論ないのですが生き辛さを感じてしまうのは私だけでしょうか。

ですが、自分の正義が許さないニュースはたくさんあります。静観など到底できないようなニュースです。私たちは、そんなニュースとどう向き合ったらいいのでしょうか。SNSに発信するのでしょうか、個人を責め立てるのでしょうか、静観するのでしょうか。内容によってはそれは正しい場合もあるでしょうが、自分の正義とは真逆の考え方を持つ人の発言や情報を分析したり、反対意見に耳を傾けたり、することをオススメします。そうすることで違和感が浮き彫りになったり、胡散臭さを感じとれたりするからです。例えば、「自分の入っている宗教が正義だ」「自分の入っている宗教を否定するのか?」と発言したり考えている時ほど、それ以外の考え方に目を向けることは難しいです。それだけ強い信仰心があるからです。それと一緒で、何が悪いのかすらわからないままにフェイクニュースを生み出す化け物の操り人形と成り下がってしまうリスクがフェイクニュースには含まれているのです(語弊があるかもしれませんが決して宗教を否定しているわけではありません)

 

 

100か0かで判断しない

 

100か0かでジャッジすることほど個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況はありません。勿論それが事実なら問題ない場合もありますが、審判の能力が低いものほど誤ったジャッジを平気で下してきます。それがものすごい影響を持ったということを皆さんも1度は経験したことがあるのではないでしょうか。つまるところ、私たちはニュースの専門家でもなければ、コメンテーターでも法律家でもありません。だからといって全てのニュースや出来事を受け入れる必要もありません。問題はいかに中立(ドライ)になれるかです。中立イコール静観で、否定も肯定もしないというのはあながち間違いではありません。ですから、その分人の話を聞いたり、分析したり、評価をする必要があるということです。なんらかの発言を求められた場合はなおさらですよね。ただ、リアルの発言には柔軟性が求められる場合が多いですので100か0かで判断をしないといけないケースも出てきます。ですので、過ちは恐れず何事にも事実を軽視しない意識を持ちたいものです。それは悪魔の証明のようなものではなく、客観視をすることのように私は思えます。

 

終わりに

言うのは簡単ですが、私もなるべくそういう認識を持って記事を書きたいものです。持続するとなると大変難しいのですが・・・・・・

21 Lessonsを読むと本当に心に刺さる言葉ばかりで、改めて反省しないといけないなと考えさせられますね。多分紹介するたびに反省をすることになるのだと思います。自分の考え方に矛盾が生じるのはよくあって、環境によっても変わります。それでも私はあくまでも”評価をする”という方針で今後も記事を書き続けたいと思います。