最近Time is money的な価値観が加速していますよね。 映画などの動画を2時間観るのは時間がもったいないみたいな考えがあるようです。 私はそれって逆に時間の運用ちゃんと出来てます? って思っちゃいますね。
カレールーの運用が難しいのと似ていて、思った以上に暇になったなとか、なんか物事が思うように行かないなとか、シューティングゲームみたいに弾が遅すぎて舐めプしていたらいつの間にかライフがなくなっていたみたいな事ってあるじゃないですか。
何が言いたいかというと極端な話、旅行の旅のしおりみたいなのを作ってそれ通りに事を進めない限り難しいんですよ。
でもそれを毎日やるのって大変だしつまらないじゃないですか。
要するにそういう『大変だしつまらない』ところを目指している側面もあると思うんですよね。合理性を求めるって。
バランスの問題ですけど。
とりづらい方に寄りがちみたいな。
仕事とかは仕方ないですよね。そういうものだと思いますから分かりやすくて割り切れるかと思います。
Aweは職業病で仕事の影響が日常生活に影響していて、鬱っぽくなっている人や、よく分からないけど疲れを感じている人にお勧めです。
リラックスするための時間を作るというのもカレールーの運用の仕方間違えてない?って思われる方もいると思います。
それでも美味しいものを食べたり、散歩したり、音楽を聴いたり、美術館に行ったりすることは様々な国のカレーを楽しむことと同じでバリエーションが豊かな方がよりリラックスして日常生活を送れると思うんです。
一度色々な価値観や縛りを解き放って大袈裟にありとあらゆるものをありがたがると自分に合ったAweや、リラックス方法や、時間の使い方が見えてくるのではないでしょうか。
とはいえ、Aweは時間がない人には難しい考えではあると思います。
私が思うにAweは時間の無駄なことというより、なくてはならないものなのだと思うのです。
時間やお金を注ぎ込んで全力で命懸けで何かに向き合っている人にとっては確かに無駄な時間でしょう。
でも同時に、その全力が原因で支障が出てしまったら無駄な時間ではなかったということになるわけで。
バランスって本当に難しいですがAweは『余裕を持って生活するとバランスがとれて幸せになれますよ』って側面が結構強いのではないでしょうか。
当たり前のことなんですが、食事はバランスが大事ですよって分かってはいても難しいじゃないですか。
それと同じで、絶対にやる必要があることなんですよね。
でも好きなものだけ食って死にたいみたいな人もいるんで結局全員に幸せな考え方かというと、そうではないということは前提として踏まえておく必要はあります。
AWE 海外の声
※この本ではない本のレビューとなります
ダッハー・ケルトナーの「AWE」のレビューを参考にしました
「もしあなたが「畏怖の念の科学」を学ぶ学生なら、まずダッハー・ケルトナーの「AWE」を読んでからこの本を読むことをお勧めします」
「私は、ケルトナー氏の著書「畏敬の念」を購入した。それは、私が生きている間に畏怖させられた時間、場所、人々、出来事、その多くが86歳になった今でも簡単に思い出すことの出来る消えない記憶となっていることをより理解するためであった。
この本が洞察に富み、啓発的であることは間違いないが、私は序文の2ページ目で敬遠してしまった。彼は、読者に「畏敬の念を見つけよう」と呼びかけ、その後、「畏敬の念を抱かせる場所に行こう」と語っているのである。個人的なことかもしれないが、私にとっての畏れは探しに行くものではない。
畏れは油断している間に突然やってきて、私を驚かせる。そういうものが畏れだ。
予期していなかった瞬間、場所、出来事が、驚きや恐怖、喜びを与えてくれる、つまり「畏敬の念」を抱かせてくれる。
毎日畏怖の念を抱くようなことはしたくない。
そうすれば、それは些細なことになり、もはやパワーや独自性を保てなくなるからだ。
畏怖の一部を構成する、涙、寒気、「おおっ」というような感情や反応を拾い集めるのは、それなりに面白いのですが、その方法、内容、理由まで調べようとすると、すぐに興味を失ってしまうものです。章立てのほとんどは、刑務所、病院、農場、都市、スポーツ・アリーナ、ロック・コンサートなど世界各地から集められた、作家を驚かせた出来事や体験談で埋め尽くされている。しかし、それらは「私の物語」ではない」
「この本に対する私の感想は賛否両論である。畏敬の念という刹那的な感情を経験したことのある人(経験しない人はいないだろう)にとって、著者はそれを具体的な言葉で表現する有用な方法を数多く提供している。
これは並大抵のことではない。ある物事に「すごい」というラベルを貼るのは簡単だが、その意味を説明するのはもっと難しい。
もし、畏怖の念の概念を完全に説明することを第一に考えてこの本を手に取ったとしても、失望することはないだろう。著者の畏敬の念に関する記述は、率直に言って、畏敬の念を抱かせるものである。畏敬の念の博物誌として、本書は大成功を収めている。畏敬の念を8つのタイプに任意に分類したことは、畏敬の念の概念の境界と内容を具体化する上で驚くほど有益な方法であることがわかる。」